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日本人とナショナリズム

.30 2012 政治・行政 comment(0) trackback(0)
 なぜナショナリズムというものがいけないかと申しますと、これは自分の国民だけをむやみに主張して他を排斥(はいせき)する。つまり排他的民族主義になる。そういうものをショウヴィニズムと申します。これがいけない。
 しかしナショナリティ(国民性)というものは大事である。これなくして世界性、国際性、宇宙性というものは何も出てこない。やはり日本人は日本の個性、特殊性というものがあって、どこまでも日本人は日本人でなければならぬ。それでなくて世界市民になれるわけがない。

安岡正篤
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大地の徳

.30 2012 読書 comment(0) trackback(0)
大地の徳
 偉くなることは、必ずしも富士山のように仰(あお)がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なものは大地である。この大地は万山を載(の)せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せて敢(あ)えていとわない。常に平々坦々(たんたん)としておる。この大地こそ本当の徳である。われわれもこの大地のような徳を持たなければならぬ。大地のような人間にならなければならぬ。

大学云
両 富潤屋
潤 徳潤身
『大学』の中の言葉。「富は家庭を豊かにし、徳は心身を豊かにする」の意。

政治の四患

.29 2012 政治・行政 comment(0) trackback(0)
政治の四患
 政治について古来からいわれている四患(かん)-四つの病弊がある。
 第一は偽である。
 うそ、いつわりは小事ではすぐわかるが、社会、公共のことになると段々真偽(しんぎ)が紛(まぎら)わしくなる。

 第二は私である。
 昔は政界に出ることは私産を失うのが常識であった。今は自分の為に、公を假(かり)ることが平気である。

 第三は放である。
 無軌道、放埓(ほうらつ)、無礼、無責任等である。礼儀も道徳も、秩序も法律も無視して、自由と権利の下、勝 手放題にやって省(かえり)みない。

 第四は奢である。
 放と同じく一度味をしめると、容易に節倹の生活に戻れない。文明は生活の利便を高めたが、それと共に恐ろしく奢侈(しゃし)にした。

 この四患を救わねば治まるものではない。 (安岡正篤)

国を亡ぼす君主

.25 2012 政治・行政 comment(0) trackback(0)
 国を亡ぼす君主というものは、きまって自ら驕(おご)り、自らを知恵あるとして、人を軽蔑(けいべつ)するものである。
 自らを驕れば人材をいい加減に取扱い、自らを知恵ありとすれば専制独裁をやる。相手を軽んずれば備えがなくなる。何事があっても、びくともしないという用意がなくなってしまう。

 備えがないと禍(わざわい)を招き、独裁をやると地位が危(あやう)くなり、人材を軽んずるとすべてが塞(ふさ)がってしまう。そうして自ら亡んでしまう。

 安岡正篤

信念と気節

.16 2012 政治・行政 comment(0) trackback(0)
信念と気節
 世をあげて利を競うに忙しい。
 しかし各自の利害は、いつか、どこかで、必ず衝突する。
 これを解決するのはやはり正義である。

 正義はどうして決まるか。
 利害関係の外に立つ、良心と達識とを持つ人々の、明察と公論による。

 正義は往々(おうおう)自己の不利に見えるところが少なくない。
 しかし結局、正義が真の利益である。

 自ら信ずる正義の為に、不利はおろか、時には死をも辞せぬことが、人間の貴い道徳であり、権威である。
 この信念と気節とが、一切の困迷を救って、国民の新運命を開く鍵(かぎ)である。

 この信念と気節のある人々が国民の指導者に輩出(はいしゅつ)するほか、日本を救う道はない。

郷原信郎著『検察崩壊 失われた正義』を読んで

.12 2012 読書 comment(0) trackback(0)
検察はもはや組織として腐りきっていることが、陸山会事件の捜査で顕わになった。
これまでの、鈴木宗男事件や村木事件では、一部検事の暴走として事件を無理やり
でっち上げ、別件で起訴すると脅してウソの調書に署名させるという冤罪を生んできた。
例えば鈴木宗男の事件では、当初北方領土に対する援助にからむ収賄事件と見立てたが、
証拠が出ないとなると、建設会社や造材会社の社長を引っ張って、賄賂を贈ったという調書を
認めないと、談合で摘発するぞと脅して無理やり署名させたりしてきた。

今回の陸山会の事件は、どうも現場の検事の暴走というよりも、もっと組織の上のほうからの
意向が働いているように感じられる。
偽の捜査報告書を書いた(書かされた?)田代検事の不起訴はなんとしてもおかしい。

最高裁事務総局・最高検・高検・東京地検特捜と繋がっているように感じられるのは
私だけだろうか?

そしてそれらの意志はどこから出てきて、あうんの呼吸で現場に伝わる出世を狙う検察官僚の
系譜に繋がっているように思える。

こんな組織を野放しにしては、日本は法事国家といえないほど、検察という組織に対する信頼は
失われてしまった。

田代検事を不起訴にする最高検の調査に、異議を唱え指揮権を発動しようとした小川敏夫元法務大臣を
6ヶ月で辞任に追い込み、後任の前滝法務大臣は知らぬが仏で異議を唱えなかったが知りえたものは
3ヶ月で首を切った野田総理ももはや黒い闇権力に取り込まれているのだろう。

こうして日本の戦後史を、政治裁判史録的にみると、日本を陰で操る闇権力があるのだろう。
だから、その意向にそぐわない政治家を葬り去ってきたが、今やネット社会となり、あらゆる情報が
瞬時に流れ一般大衆に知れ渡る時代となり、こうした闇権力の存在が徐々に暴露されるだろう。

そういう意味で、検察を建て直し法事国家としての番人になるよう、著者である郷原信郎氏の活躍を
期待するものである。

古都育朗

野田総理は国士たりや?

.11 2012 政治・行政 comment(0) trackback(0)
安岡正篤氏は『為政者の条件として、国家に於(おい)て、恰(あたか)もその人心に当たるものは民衆であり、為政者はその天理に該当する。為政者の政治を待って、始めて民衆は乱離を免(まぬか)れることが出来るのである。故に為政者は民衆と侔(ひと)しく人間であるが、絶対者(天)の徳を承(う)けて、民生を化育し、国家を興隆せしむべき理想活動の人、即(すなわ)ち国士でなければならぬ。
 かかる本質上、為政者は先(ま)ず仁徳を具(そな)うることを要する。』
と述べている。
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