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「大学」読み下し文

.23 2012 大学 comment(0) trackback(0)
大学

大学の道は明徳を明らかにするに在り。
民に親しむにあり、至(し)善(ぜん)に止まるにあり。
止まることを知りて而(しか)る后(のち)に定まることあり。
定まりて而る后に能(よ)く静かなり。
静かにして而る后に能く安し。
安くして而る后に能く慮(おもんばか)る。
慮りて而る后に能く得。
物に本末あり、事に終始あり。
先(せん)後(ご)する所を知れば則(すなわ)ち道に近し。
古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む。
其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉(ととの)う。
其の家を斉えんと欲する者は、先ず其の身を修む。
其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しくする。
其の心を正しくせんと欲する者は、先ず其の意を誠にす。
其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。
知を致すは物に格(いた)るに在り。
物格りて而る后に知(ち)至る。
知至りて而る后に意(い)誠(まこと)なり。
意誠にして而る后に心正し。
心正しくして而る后に身修まる。
身修まりて而る后に家斉う。
家斉いて而る后に国治まる。
国治まりて而る后に天下平(たい)らかなり。
天子より以(もっ)て庶(しょう)人(じん)に至るまで
壱(いつ)是(し)に皆身を修むるを以て本(もと)となす。
其の本(もと)乱(みだ)れて末治まる者は否(あ)らじ。
其の厚くする所の者を薄くして、其の薄くする者を厚くするは未だこれあらざるなり。
此れを本を知ると謂(い)う。
此れを知の至れりと謂うなり。
所謂(いわゆる)其の意を誠にするとは、自(みずか)ら欺(あざむ)くこと母(な)きなり。
悪臭を悪(にく)むが如く、好色を好むが如し。
此れを之れ自謙(じけん)と謂う。
故に君子は必ず其の独(ひとり)を慎むなり。
小人間(しょうじんかん)居(きょ)して不善を為す。
至らざる所なし。
君子を見て、而る后に厭(えん)然(ぜん)として其の不善を揜(おお)いて、其の善を著(あら)わす。
人の己を視(み)ること、其の肺肝(はいかん)を見るが如く然(しか)れば、則ち何の益かあらん。
此れを中(うち)に誠なれば外(そと)に形(あら)わると謂う。
故に君子は必ず其の独を慎むなり。
曾子(そうし)曰(いわ)く、十目(じゅうもく)の視る所、十手(じゅうしゅ)の指(ゆびさ)す所、其れ厳(げん)なるか。
富は屋(おく)を潤し、徳は身を潤す。
心広く、体胖(たいゆた)かなればなり。
故に君子は必ず其の意を誠にす。
詩に云(いわ)く、彼の淇澳(きいく)を瞻(み)れば、菉(りょく)竹猗猗(いい)たり。
斐(ひ)たる君子あり、切(せつ)するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し。
瑟(しつ)たり僴(かん)たり、赫(かく)たり喧(けん)たり。
斐たる君子あり、終(つい)に諠(わす)るべからず。
切するが如く磋するが如しとは、学を道(い)うなり。
琢(たく)するが如く磨するが如しとは、自ら修むるなり。
瑟(しつ)たり僴(かん)たりとは恂慄(しゅんりつ)なり。
赫(かく)たり喧(けん)たりとは威儀なり。
斐たる君子あり、
終(つい)に誼(わす)るべからずとは、盛徳至善、民の忘るる能わらざるを道うなり。
詩に云く、於戲(ああ)前王(ぜんのう)忘れられず。
君子は其の賢を賢として、其の親(しん)を親とす。
小人は其の楽しみを楽しみて、其の利を利とす。
此(ここ)を以て世を没するまで忘れられざるなり。
康誥(こうこう)に曰く、克く徳を明らかにすと。
太(たい)甲(こう)に曰く、諟(こ)の天の明命を顧みると。
帝典に曰く、克(よ)く峻(しゅん)徳(とく)を明らかにすと。
皆(みな)自ら明らかにするなり。
湯(とう)の盤(ばん)の銘に曰く、
苟(まこと)に日に新たにして、
日日に新たにして、
又日に新たなり。
康誥に曰く、民を作新すと。
詩に曰く、周は旧邦なりと雖(いえど)も、其の命維(めいこ)れ新たなり。
是(こ)の故に君子は其の極(きょく)を用いざる所なし。
詩に云く、邦幾(ほうき)千里、惟(これ)民の止まる所と。
詩に云く、緡蛮(めんばん)たる黄鳥(こうちょう)、丘(きゅう)隅(ぐう)に止まると。
子曰く、止まるに於いて、其の止まる所を知る。
人を以て鳥に如かざる可(べ)けんやと。
詩に云く、穆穆(ぼくぼく)たる文(ぶん)王(のう)、於緝(ああしゅう)煕(き)にして敬して止まると。
人(じん)君(くん)と為(な)りては仁に止まり、人臣(じんしん)と為(な)りては敬に止まり、人の子と為りては孝に止まり
人の父と為りては慈に止まり、国人(こくじん)と交(まじわ)りては信に止まる。
子曰く、訴(うった)えを聴くこと吾猶(なお)人のごとし。
必ずや訴なからしめんかと。
情(まこと)なき者は其の辞を盡(つく)すことを得ず。
大いに民の志を畏(おそ)れしむ。
此れを本(もと)を知ると謂う。
所謂(いわゆる)身を修むるに其の心を正しくするに在りとは、身忿(ふん)懥(ち)する所あれば、則(すなわ)ちその正を得ず。
恐(きょう)懼(く)する所あれば、則ち其の正を得ず。
好(こう)楽(ごう)する所あれば、則ち其の正を得ず。
憂患(ゆうかん)する所あれば、則ち其の正を得ず。
心焉(ここ)に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食(くら)いて其の味わいを知らず。
此れを身に修むるに、其の心を正しくするに在りと謂う。
所謂其の家を斉うるに其の身を修むるに在りとは、人其の親愛する所に之(ゆき)て辟(へき)す。
其の賤悪する所に之(ゆき)て辟(へき)す。
其の畏敬する所に之(ゆき)て辟(へき)す。
其の哀矜(あいきょう)する所に之(ゆき)て辟(へき)す。
其の敖惰(ごうだ)する所の之(ゆき)て辟(へき)す。
故に好みにて其の悪を知り、悪(にく)みて其の美を知る者は天下に鮮(すくな)し。
故に諺(ことわざ)に之れあり、曰く、人其の子の悪を知ること莫(な)く、其の苗の碩(おおい)なるを知ること莫(な)しと。
此れを身修まらずして以て其の家を斉うべからずと謂う。
所謂国を治むるに、必ず先(ま)づ其の家を斉うとは、其の家教うべからずして、能く人を教ううる者は之れ無し。
故に君子は家を出でずして教えを国に成す。
孝は君(きみ)に事うる所以(ゆえん)なり。
弟(てい)は長に事うる所以(ゆえん)なり。
慈は衆を使う所以なり。
康誥に曰く、赤子(せきし)を保(やす)んずるが如く。
心誠に之れを求むれば、中(あた)らずと雖(いえども)遠からず。
未(いま)だ子を養うことを学びて、而る后に嫁(か)する者はあらざるなり。
一家仁なれば、一国仁に興り、一家譲(じょう)なれば、一国譲に興る。
一人貪戻一國作乱一(いち)人(にん)貪(たん)戻(れい)なれば、一国乱を作(な)す。
其の機(き)此(かく)の如し。
此れを一言(いちごん)事を憤(やぶ)り、一(いち)人(にん)国を定むと謂う。
堯舜は天下を率いるに仁を以てして、民之れに従い、
桀(けつ)紂(ちゅう)は天下を率いるに暴を以てして、民之れに従う。
其の令する所、其の好む所に反して、民従わず。
是(こ)の故に君子は諸(これ)を己に有して、而(しか)る后に諸を人に求め、諸を己に無くして、而る后に諸を人に非(そし)る。
身に蔵(ぞう)する所恕(じょ)ならずして、能く諸を人に喩す者は、未だ之れあらざるなり。
故に国を治むるは、其の家を斉うるに在り。
詩に曰く、桃の夭夭(ようよう)たる、其の葉蓁蓁(しんしん)たり。
之の子干(ここ)に帰(とつ)ぐ。
其の家人に宜しくして、而る后に以て国人を教うべし。
詩に云く、兄(けい)に宜しく弟(てい)に宜し。
兄に宜しく弟に宜しくして、而る后に以て国人を教うべし。
詩に云く、其の儀忒(たが)わず、是の四国を正すと。
其の父子兄弟(けいてい)となりて法(のっと)るに足りて、而る后に民之れに法(のっと)るなり。
此れを国を治むるに、其の家を斉うに在りと謂う。
所謂天下を平らかにするに其の国を治むるに在りとは、上(かみ),老を老として民(たみ)孝(こう)に興り、上、
長を長として民弟に興り、上、弧を恤(あわれ)みて、民(たみ)倍(そむ)かず。
是(ここ)に以て君子に潔矩(けつく)の道あり。
上に悪む所以て下を使うこと毋(なか)れ。
下に悪む所以て上に事うること毋(なか)れ。
前に悪む所以て後に先んずること毋(なか)れ
後に悪む所以て前に従うこと毋(なか)れ。
右に悪む所以て左に交わること毋(なか)れ。
左に悪む所以て右に交わること毋(なか)れ。
此れを之れ潔矩(けつく)の道と謂う。
詩に云く、楽しき君子は民の父母なりと。
民の好む所は之れを好み、民の悪む所は之れを悪む。
此を之れ民の父母と謂う。
詩に云く、節たる彼(か)の南山、維(こ)れ石巌(がん)巌(がん)たり。
赫赫(かくかく)たる師尹(いん)、民具(とも)に爾(なんじ)を瞻る。
国を有する者は以て慎まざるべからず。
辟すれば則ち天下の僇(りく)となる。
詩に云く、殷の未だ師を喪(ほろ)ぼさざるや。
克く上帝に配す。
儀(よろ)しく殷に監(かんが)みるべし。
峻(しゅん)命(めい)易(やす)からず。
衆を得れば則ち国を得、衆を失えば則ち国を失うを道(い)う。
是の故に君子は先づ徳を慎む。
徳有れば此に人あり。
人有れば此に土有り。
土有れば此に財あり。
財有れば此に用有り。
徳は本なり。
財は末なり。
本を外にして末を内にすれば、民を争わしめて奪うことを施す。
是の故に財聚(あつ)まれば則ち民散じ、財散ずれば則ち民聚まる。
是の故に言悖(もと)つて出づる者は、亦悖つて入り、
貨(か)悖(もと)つて入る者は、亦悖(もと)つて出づ。
康誥に曰く、惟れ命常に干(おい)てせず。
善なれば則ち之れを得、不善なれば則ち之れを失うを道(い)う。
楚書に曰く、楚国は以て宝と為(な)す無し。
惟(ただ)善のみ以て宝と為す。
舅犯に曰く、亡人(ぼうじん)は以て宝と為す無し。
仁親(じんしん)以て宝と為す。
秦(しん)誓(せい)に曰く、若し一个(いつかい)の臣あらんに、断断(だんだん)として他の技(ぎ)なく、其の心休休(きゅうきゅう)焉(えん)たり、其の容るるところあるが如し。
人の彦(げん)聖(せい)なるや、其の心之れを好む。
啻(ただ)に其の口より出づるが若(ごと)くのみならず、寔(まこと)に能く之れを容(い)る。
以て能く我が子孫黎(れい)民(みん)を保んず。
尚(なお)亦(また)利あらんかな。
人の技ある、媢(しょう)疾(しつ)以て之れを悪み、
人の彦(げん)聖(せい)なるや之れに違(たが)い通(つう)ぜらしむ。
寔(まこと)に容るること能わず。
以て我が子孫黎(れい)民(みん)を保んずること能わず。
亦(また)殆(あやう)いかな。
唯(ただ)仁人のみ之れを放流し、諸を四(し)夷(い)に迸(しりぞ)け、与(とも)に中国を同じうせず。
此れを唯(ただ)仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪むことを為すと謂う。
賢を見て拳ぐること能わず、拳げて先んずること能わざるは命(おこたり)なり。
不善を見て退くること能わず、退けて遠ざくること能わざるは過(あやまり)なり。
人の悪む所を好み、人の好む所を悪むは、是人の性に拂(もと)る。
菑(わざわい)必ず其の身に逮(およ)ばん。
是の故に君子に大道あり。
必ず忠信以て之れを得、驕(きょう)泰(たい)以て之れを失う。
財を生ずるに大道あり。
之れを生ずる者衆(おお)く、之れを食う者寡(すくな)ければ、之れを為(おさ)むる者疾(はや)く、之れを用うる者舒(じょ)なれば、則ち財恒(つね)に足らん。
仁者は財を以て身を発(はっ)し、不仁者は身を以て財を発す。
未だ上(かみ)仁を好みて、下(しも)義を好まざる者あらざるなり。
未だ義を好みて、其の事(こと)終らざる者はあらざるなり。
未だ府庫(ふこ)の財に非(あら)ざる者はあらざるなり。
孟献子曰く、馬乗(ばじょう)を畜(やしな)うものは鶏豚を察せず。
伐冰の家は牛羊を畜(やしな)わず。
百乗の聚斂(しゅうれん)の臣を畜(やしな)わず。
其の聚斂(しゅうれん)の臣あらんよりは、寧(むし)ろ盗臣あれ。
此れを国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すと謂うなり。
国家に長として財用を務むる者は、必ず小人による。
彼之れを善と為す。
小人をして国家を為(おさ)めしむれば、菑害(さいがい)並(なら)び至らん。
善者ありと雖も、亦之れを如何ともすること無し。
此れを国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すと謂うなり。
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大学(中国古典)全文

.23 2012 大学 comment(0) trackback(1)
大學

大學之道在明明徳在親民在止於至善。
知止而后有定。定而后能静。静而后能安。
安而后能慮。慮而后能得。
物有本末事有終始。知所先後則近道矣。
古之欲明明徳於天下者先治其國。
欲治其國者先齊其家。
欲齊其家者先修其身。
欲修其身者先正其心。
欲正其心者先誠其意。
欲誠其意者先致其知。
致知在格物。物格而后知至。
知至而后意誠。意誠而后心正。
心正而后身修。
身修而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。
自天子以池至於庶人壹是皆以修身爲本。
其本乱而末治者否矣。
其所厚者薄而其所薄者厚未之有也。
此謂知本。
此謂知之至也。
所謂誠其意者母自欺也。
奴悪惡惡臭奴好好色。
此之謂自謙。故君子必愼其獨也。
小人間居爲不善無所不至。
見君子而后厭然?其不善而著其善。
人之視己奴見其肺肝然則何益矣。
此謂誠於中形於外。
故君子必愼其獨也。
曾子曰十目所視十手所指其嚴乎。
富潤屋徳潤身。心廣體胖。
故君子必誠其意。
詩云瞻彼淇澳?竹猗猗。
有斐君子如切如磋如琢如磨。
瑟兮僴兮赫兮喧兮。
有斐君子終不可諠兮。
如切如磋者道學也。
如琢如磨者自修也。
瑟兮僴兮者恂慄也。
赫兮喧兮者威儀也。
有斐君子終不可諠兮者道盛徳至善民之不能忘也。
詩云於戲前王不忘。
君子賢其賢而親其親。
小人樂其樂而利其利。
此以没世不忘也。
康誥曰克明徳。
太甲曰顧天之明命。
帝典曰克明峻徳。
皆自明也。
湯之盤銘曰苟日新日日新又日新。
康誥曰作新民。
詩曰周雖舊邦其命維新。
是故君子無所不用其極。
詩云邦幾千里惟民所止。
詩云緡蠻黄鳥止干丘隅。
子曰於止知其所止。
可以人而不如鳥乎。
詩云穆穆文王於緝煕敬止。
爲人君止於仁爲人臣止於敬爲人子止於孝
爲人父止於慈與國人交止於信。
子曰聴訟吾猶人也。必也使無訟乎。
無情者不得盡辭。大畏民志。此謂知本。
所謂修身在正其心者身有所忿?則不得其正。
有所恐懼則不得其正。
有所好樂則不得其正。
有所憂患則不得其正。
心不在焉視而不見。
聴而聞食而不知其味。
此謂修身在正其心。
所謂齊其家在修其身者人之其所親愛而辟焉。
之其所賤惡而辟焉。之其所畏敬而辟焉。
之其所哀矜而辟焉。之其所敖惰而辟焉。
故好而知其惡而知其美者天下鮮矣。
故諺有之曰人莫知其子之惡莫知其苗之碩。
此謂身不修不可以齊其家。
所謂治國必先齊其家者其家不可教而能教人者無之。
故君子不出家而成教於國。
孝者所以事君也。弟者所以事長也。
慈者所以使衆也。
康誥曰如保赤子。心誠求之雖不中不遠矣。
未有學養子而后嫁者也。
一家仁一國興仁一家讓一國興讓。
一人貪戻一國作亂。其機如此。
此謂一言?事一人定國。
堯舜師天下以仁而民從之。
桀紂師天下以暴而民從之。
其所令反其所好而民不從。
是故君子有諸己而后求諸人無諸己而后非諸人。
所藏乎身不怒而能喩諸人者未之有也。
故治國在齊其家。
詩云桃之夭夭其葉蓁蓁。
之子干歸宜其家人。
宜其家人而后可以敎國人。
詩云宜兄宜弟。宜兄宜弟而后可以敎國人。
詩云其儀不?正是四國。
其爲父子兄弟足法而后民法之也。
此謂治國在齊其家。
所謂平天下在治其國者上老老而民興孝上長長而民興弟上恤孤而民不倍。
是以后君子有絜矩之道也。
所惡於上毋以使下。所惡於下毋以事上。
所惡於前毋以先後。所惡於後毋以從前。
所惡於右毋以交於左。所惡於左毋以交於右。
此之謂絜矩之道。
詩云樂只君子民之父母。
民之所好好之民之所惡惡之。此之謂民之父母。
詩云節彼南山維石巖巖。
赫赫師尹民具爾瞻。
有國者不可以不愼。辟則爲天下?矣。
詩云殷之未喪師克配上帝。
儀監干殷。峻命不易。道得衆則得國失衆則失國。
是故君子先愼乎徳。有徳此有人。
有人此有土。有土此有財。有財此有用。
徳者本也。財者末也。
外本内末爭民施奪。
是故財聚則民散財散則民聚。
是故言悖而出者亦悖而入。
貨悖而入者亦悖而出。
康誥曰惟命不干常。
道善則得之不善則失之矣。
楚書曰楚國無以爲以爲寳。
惟善以爲寳。
舅犯曰亡人無以爲寳、仁親以爲寳。
秦誓曰若有一个臣、斷斷兮無他技、其心休休焉、
其如有容焉。
人之有技、若己有之、人之彦聖、其心好之、
不啻若自其口出、寔能容之。
以能保我子孫黎民。尚亦有利哉。
人之有技、?疾以惡之。
人之彦聖而違之俾不通。
寔不能容。以不能保我子我黎民。
亦曰殆哉。
唯仁人旅流之迸諸四夷不與同中國
此謂唯仁人爲能愛人能惡人
見賢而不能與與而不能先命也
見不善而不能退退而不能遠過也
好人之所惡惡人之所好
是謂拂人之性
?必逮夫身
是故君子有大道
必忠信以得之驕泰以失之
生財有大道
生之者衆食之者寡爲之者疾用之者舒則足矣
仁者以財發身不仁者以身發財
未有上好仁而下不好義者也
未有好義其事不終者也
未有府庫財非其財者也
孟獻子曰畜馬乘不察於鷄豚
伐冰之家不畜牛羊
百乘之家不畜聚斂之臣
與其有聚斂之臣寧有盗臣
此謂國不以利爲利以義爲利也
長國家而務財用者必自小人矣
彼爲善之
小人之使爲國家?害竝至
雖有善者亦無如之何矣
此謂國不以利爲利以義爲利也
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