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修己治人を読んで

.09 2012 修己治人 comment(0) trackback(0)
修己治人
まえがき
「人、生れて八歳となれば、王公より以下、庶民の子弟に至るまで皆、小学に要れ、之に教うるに酒掃応対進退の節、礼楽射御書数の六芸を教う」「その十有五歳に及べば、天子の元子衆子より公卿太夫の適子や凡民の俊秀に至るまで皆、大学に入れ、之を教うるに、理を窮め、心を正し、己を修めて人を治むるの道を以てす。これ学校の小大の分かるる所以なり」
酒掃とは掃除の仕方
応待とは親や上長とあいさつを交わすやり方
進退の節とは出入進退の細かな作法・・・靴の脱ぎ方や日常の行住坐臥に粗相がないようしつけること
「礼」とは、吉凶軍賓嘉に当たるときの儀節であって、おめでたいときの礼儀、凶事の礼儀、お客様を迎えるときや、出征するときの走行会、神仏を礼拝するときの儀節など
「楽」は、人と和合していくのになくてはならないもので、堯舜以来の六律を学ばせた。
「射」は弓を射る方法を学ばせることで、己の技量と、そのときの心境によるのであって、人のせいにできない。
「御」とは、乗馬のこと。
「書」は中国読書人の必須の教養である、象形、会意、楷・行・草の三体を学ぶこと。
「数」は算数のこと

 朱子は「大学」という書は修己治人の学問であり、指導者たるべき人が十五歳になると必ず入学しなければならない施設と考えた。
その学問は、自分の本性を固有する仁義礼智の徳を明らかにすることである。

「大学」開巻第一章

大学の道は明徳を明らかにするに在り。民に親しむにあり、至善に止まるにあり。止まることを知りて后(のち)定まることあり。定まりて而る后によく静かなり。静かにして而る后よく安く、安くして而る后よく慮りて后よく得。
物に本末あり、事に終始あり、先後する所を知れば道に近し。
古の明徳を天下に明らかにせんと欲するものは先づその国を治む。その国を治めんと欲するものは先ずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲するものは先ずその身を修む。その身を修めんと欲するものは先ずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲するものは先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲するものは先ずその知を致す。知を致すとは物に格(いた)るにあり。物格(いた)りて后知致(いた)り。知致(いた)って后意誠なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身修まる。身修まって后家斉(ととの)う。
家斉(ととの)いて后国治まる。国治まりて后、天下平らかなり。天子より庶人に至るまで壱(もつ)是(ぱら)に身を修むるを以て本と為す。その本乱れて末治まるものはあらじ、その厚かるべきを薄くして、その薄かるべきものを厚くするは未だこれあらざるなり。
これを本を知るという。これを知の至れりというなり。

大学の「三綱領」
 第一の「明徳を明らかにする」とは、人にはその本性に「仁義礼知信」の諸徳
が備わっているが、これらが人の気質によって蔽われ、隠れてしまいやすい。これを明確に意識し、これを拡充、発揮することが、その目的の第一である。

 第二の「民に親しむ」とは、人を治める原則を説いたもので、人であれ、物であれ、これを生かしきろうという生々の心は、当然、その対象と一体となる。

 第三の「至善に止まる」とは、至善と思われるものを己の生活の中心に据えて、わき目もふらずに精進することだ。

明々徳親民という修己治人の原則を会得したならば、これをつかんで離さぬ覚悟こそ、大学の道だ。

「本末論」について
「物に本末あり、事に終始あり。先(せん)後(ご)する所を知れば則(すなわ)ち道に近し」とある。
「何によらず、物事を目先だけで捉える、あるいは枝葉末節に捉われていると、一面的になってしまう。少しく長い目で見る、できるだけ多面的、全面的に考えるのに比べると、大変な違いがでてくるものであって、ことによると結論が全く反対になることが少なくない。しかし人間は易きにつきやすく、とかく世間の議論は、目先の考え方、一面的な見方、枝葉末節に捉われた議論が多くなり、徒らに紛糾することが多くなる。


「八条目」とは何か
 天下を平かにすること、国を治めること、家を斉(ととの)えること、身を修めること、心を正しくすること、意を誠にすること、知を致すこと、物に格(いた)ることである。
呂氏春秋に「国を為(おさ)むる本は身を為(おさ)むるにあり、身為(おさ)まりて家為まり、家為まりて国為まり、国為まりて天下為まる」とある。
正心とは、感情を匡(ただ)すことの大切さを説いたもの。
誠意は、我々の意志こそが行為としての人間活動の大本となることを凝視したものである。大学は自らを修めることを追求した書であり、それは他の誰もが知らない己の意志の機(きざし)を見つめ、道に随(したが)って己を欺(あざむ)かないように努めること(自謙)こそが根本だと説いている。
「知を致すは物に格(いた)るにあり」とは、学問知識の問題を論じている。

誠意
 人は本来、悪臭を悪み好色を好むがごとく、善を好み悪を悪夢性質を持っているから、省(かえり)みて自ら慊(こころよ)くふるまえばよい(後悔のない生活)。それが意を誠にすることになる。

正心
 「身忿(ふん)?(ち)する所あれば則ちその正を得ず。恐懼(きょうく)する所あれば則ちその正を得ず。好楽(こうごう)する所あれば則ちその正を得ず。憂患する所あれば則ちその正を得ず。心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らいてその味を知らず」
 人の心は忿(いかり)のある場合とか、懼(おそれ)を抱くとき、好きなものに出会ったとき、あるいは心配事のあるときなどには心の正平を失いやすい。これらに捉われて心ここにあらざるときは視ようとしても見えず、聴こうとしても聞こえず、物を食べても、その味を覚えていないものだ。心の正平を保つよう努めよ。
修身
 「人の親愛する所に之きて辟す。その賤悪する所に之きて辟す。その畏敬する所に之きて辟す。その哀矜(あいきょう)する所に之きて辟す。その敖惰(ごうだ)する所に之きて辟す。故に好みてその悪を知り、悪みてその美を知る者は天下に鮮(すくな)し。故に諺に之あり、人その子の悪を知ることなく、その苗の碩(おお)いなるを知ることなし」
 人はともすれば辟し(かたより)易いもので、愛すれば愛につれて傾き、悪めば悪むにつれて辟する。好ましいと思っている相手の弱点をつかんでいるとか、逆に、悪みながらも、その人の長所をつかんで正しく評価するということはなかなかできることではない。
斉家
 「君子は家を出ずして教を国に成す。孝は君に事(つか)える所以なり。弟は長に事える所以なり。慈は衆を使う所以なり」
 一家内の道徳は、孝と悌と慈であって、親に仕える孝の道を拡大充実して、企業の長や国家への忠節に置き換える。悌徳は兄弟関係の道徳律であるが、これを推して長上に事(つか)える道とする。親が子を撫育する心は慈愛そのものであるが、この心を以て部下を愛すれば、必ずその企業や国家は治まる。つまり家を斉(ととの)える道と国を治める道は同じである。
 「一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興る。一人貪戻(たんれい)なれば一国乱を作す。その機かくの如し」
 為政者が心すべきはまず、己の家庭生活である。一家の内に仁愛が行われていれば、自ら四辺を感化して、その国は仁に帰するし、一家内が謙譲の風を為せば、一国もまた、譲の風がおこってくる。
治国、平天下
 「上老を老として民孝に興り、上長を長として民弟に興り、上孤を恤(あわれ)みて民倍(そむ)かず。是を以て君子に潔矩(けつく)のみちあり」
 上に立つ君主が老者を尊べば、人民は自然に孝養を励むようになり、君主が長者を尚(とうと)べば、民衆は兄を尚ぶようになる。君主が鰥(かん)寡(か)孤(こ)独(妻をなくした老人、夫をなくした老婦人、親のない子供、子供のいない老人)の気の毒な境遇に陥っている人々を恤(あわれ)み、手厚い保護を加えれば民心は離反しない。だから結局「孝悌慈」のほか国を治める道はない。
 「上に悪むところ以て下を使うこと毋(なか)れ。下に悪むところ以て上に事(つか)うること毋(なか)れ。前に悪むところ以て後に先んずること毋(なか)れ。後に悪むところ以て前に従うこと毋(なか)れ。右に悪むところ以て左に交わること毋(なか)れ。左に悪むところ以て右に交わること毋(なか)れ。」
 いわゆる「人の不利みて我が不利なおせ」ということで、上司と部下、部下と上司、あるいは友人との交際においても、人から受けた屈辱を他人には絶対に与えまいと誓うことが潔矩(けつく)の道である。
真の「国宝」とは
 「楚(そ)書に日く、楚国は以て宝と為すなし。惟(ただ)善のみ以て宝と為す」
大学では「善を以て宝と為す」という短い言葉で、国家目標をも含む政治哲学が
示されているのである。
 論語に「子曰く、君子は義に喩(さと)り小人は利に喩(さと)る」
    「子曰く、利に於(よ)りて行えば、怨多し」
 前者は、すべて物事は人相応に理解するもので、ただの人間はいつでも算盤をはじいて、「なるほど、これが得だ、これが損だ」ということでないと理解できない。一方できた人は、「なるほど、人はこうでなければならない。こうしなければならない」という「義」によって行動する。
 後者は、自分の利益だけを追求していけば当然、他己の存在を否定することになって衝突が起こり、怨みを残す。
大学は「国は利を以て利と為さず、義を以て利と為す」と述べている。
終身、斉家、治国、平天下は広狭の差こそあれ、いずれも同じ標準、同じ道の下にあるのであって、「天子より以て庶民に至るまで、専(もっぱ)ら身を修むるを以て本と為す」というのは、このような意味からである。
 「八条目」の最も基本に「致知格為」という言葉が使われている。
朱子は「格物とは事々物々にそれぞれ理がある。これを追求し、研究し抜けば、万事に通じうるところに至る。一旦豁然としてその理に到達すれば、それは知に致(いた)
ることだ」と説いた。ここで「物」とは「法」ということで、道徳律と考えるべきである。
 「知」の磨き方
 一、博(ひろ)く学ぶ 二、審(つまび)らかに問う 三、慎(つつし)んで思う 四、明らかに弁ず
五、篤(あつ)く行う


第一章 徳と才

部下を持って問われる「その人の徳」
 「人柄」のことを東洋学では「徳」という。
「才」はその人の知識技能のことで、「徳」の要因は「性質」と「体質」とおいうことである。
「才能」にだけ眼が注がれた現代教育
 才で仕事は出来るが、徳の上に立って運用されないと物事全体がうまく運ばなくなる。
 北宋を代表する哲人「司馬光」の名著「資格通鑑」のなかで、
「才徳全尽、之を聖人と言う。才徳兼亡、之を愚人と言う。徳才に勝つ、之を君子と言い、才徳に勝つ、之を小人と言う。凡そ人を取るの術、苟(いやしく)も聖人君子をえて与(くみ)せずんば、その小人を得んよりは愚人を得るに若かず」と書いている。
聖人は徳にも才にも勝(すぐ)れた完全な人をさす。これと反対に才もなければ徳もないという人を愚人と呼んでいる。一方その人の徳が才気よりも勝れている人を君子、才智弁口が勝った人を小人としている。
部下は才気にまさる小人より愚人がまし
 人財選びの時、聖人君子のように盛徳の隆(さかん)な人を選ぶのが理想であるが、小才の効いた小人を採ってはよくない。むしろ愚人を選んだ方がましだと司馬光は指摘している。
 「何となれば、すなわち君子その才を挟(さしはさ)みてもって善をなし、小人はその才を挟(さしはさ)みてもって悪をなす。才を挟(さしはさ)みて善をなす者は善至らざるなく、才を挟(さしはさ)
みて悪をなす者は悪また至らざるはなし。愚者は不善をなさんと欲すといえども、智周(あまね)きこと能(たま)わず、力勝(た)うること能わざればなり」
 その理由は、聖人・君子は良心にしたがって自分の才能を働かせるから、一切の行為の動機は純真であるからだ。才能を発揮するのに良心にしたがい、全体の調和を考えながら進めてゆく君子は、自然に良い方向に向かう。
 これとは反対に才気がまさる小人は、自分の欲望、私意をほしいままにし、全体に眼が届かなくなりやすい。卑しい私欲を先に立てて事を進めれば必ず破滅を招くことになる。
 なぜ小人より愚人の方がよいかといえば、愚者は悪事を働く才覚もないし気力もないものだ。
欧風万能の傾向、今日まで消えず
 そもそも大学は、修己治人の実践学によって、日本の将来をになう人材を育成するのが目的であろう。今の様な大学の学科を極めたところで、政治の大任をになう人材にはなれまい。技術者だけは養成されようが、政府に入って政治を担当し、人を治め得る器量の者はできないであろう。
 「しつけ」があって正しい知識教育ができる
 「これあることによって初めて人間であり、これがなければ人でない」という本質的な要素が徳性であり、道徳性である。
「心が明るい、清くて汚れがない、人を愛する、人を助ける、人に報いる、努力精進する、忍耐するなどの心をいわゆる「徳性」という。
知識技能は、あることにこしたことはないが、特別の例外を除いて付属的要素、「属性」という。
 「習性」は、道徳学、人間学、社会学などで、第二の「徳性」と言われ、極めて重要な人間形成をなすところから、習慣、習性を鍛えるための「しつけ」が重要ということになる。
人間はこの「徳性」「習性」「属性」の三つから成り立っている。
習性が正しく養われておれば、「属性」たる知識、技能が正しく養われるし、また使われるようになる。
三歳くらいから「徳性」を高めるよう「しつけ」をしなければならぬ。

第二章 人心と道心

 「大学」に学ぶ人の上に立ち、人を治める道
 幕末の志士達の教養の基礎は和漢の学であった。「人間如何に生くべきか」を主題とし幼少の時からたたき込まれ、維新以後は和魂洋才を目的とする人生を送ったのである。幼少期の教育が、現代と基本的に違うのである。
 「大学」の書を読む二宮金次郎の銅像
 二宮金次郎(尊徳)の薪を背負って読んでいる銅像の本は「大学」である。
「大学」は古来、道徳・政治・教育・経済など、さまざまな問題について、指導者の心構えを解き明かしてくれる経書である。
大学はもともと礼記第四十二章の一篇であった。宋代の鉄人司馬光がここから抜き出して、大学広義とした。これを程明道、程伊川の夫子が大いに尊重して、論語・孟子・中庸と共に併せて読むべきものとした。その学統を集大成した朱子が、その秩序を整え、欠落を補って、経一章と伝十章に分類した。
経一章は孔子の言葉を、曾子が記録し、伝十章は曾子が説明して、弟子達に記録させたものと言われている。
「大学一章」は三綱領からはじまる。
(一) 明徳を明らかにする(二)民に親しむ(三)至善に止まる===の三つだとある。
 次は己を修練する方法と、人の上に立ち、人を治める道筋とを八つに分けた八条目、すなわち格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下だが、伝十章に各条目を詳しく説明している。
 人の心にひそむ危険な人心と正しい道心
 人の欲求には、第一に食欲である。第二は種族保存本能であり、異性を求める欲求である。第三は権力欲の問題である。

 性悪説の元祖である苟子は、
「人の性は悪、其の善なるものは偽なり。今、人の性は生まれながらにして利を好む。これに順(したが)えば争奪生じて辞(じ)譲(じょう)(人にゆずるの意)亡ぶ。生まれながらにして疾(しつ)悪(あく)(にくむこと)の心あり。これに順(したが)えば残賊(ざんぞく)(人を毒し、しりぞける心)生じて忠信亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲ありて、声色(色情)を好む。これに順(したが)えば淫乱(酒色におぼれる)生じて礼義亡ぶ。然れば必ず人の本性に従い、人の情に順(したが)えば争奪生じ、分を犯し理を乱りて暴に帰せん」と言っている。

 性善説をとった孟子
 第一「道心」は「惻隠(そくいん)(あわれみ)の情」で「仁心」のあらわれが、幼児が倒れそうになると誰でもはっとして手を差し伸べたりすることである。
 第二は自分が何かしくじったなと気付くと、人に何か言われる言われないにかかわらず、己が心の内面に恥ずかしいと思う心がわき、自然に顔が赤らむ。これを「羞悪の情」という。
 己の分をわきまえて、行動することを「義」というが、この「羞悪の情」は「義」の端緒である。
 第三は、平素自分が尊敬してやまない人の前に出たときとか、神仏の前に立った時、自然に敬虔な感情を抱き、謙虚になり、人に譲り、人を推す心が湧いてくる。「敬」が中心となった、この心を礼の端緒だという。
 第四に「是非の情」というものがある。善事を行えば喜び、悪事を行えば後悔、反省する心だが、これは生まれながらのものである。この直観力を培い、これを練磨し、我々の心を覆っている私欲を去ることが根本だという。
以上の四つを孟子の四端説といい、この明徳を明らかにすることが先ず第一に行われるべき大学の道だというのである。

 性善説は日中、古来の思想
 第一章の「徳と才」の一文で、これなくんば人に非ず、人間になくてはならないものとして徳性を強調したが、孟子のいう「性の善なるもの」がそれである。
日本も、古事記、日本書記の時代から性善説に立っている。
 神道では、神事の初めに、よろずに先立って「お祓い」を執り行う。我々は知らず知らずの間に俗事に携わり、曲事(まがりごと)、罪、穢(けが)れを身につけている。これを神力によって祓い清め、我々の本来の姿たる「清く、明るく、美しい」心となり、大神に仕えようとしているのである。


 第三章 親民と新民

 相手を思い遣る余裕が人を動かす
 道元禅師は、正法眼蔵菩提薩?四摂法の巻きで、“愛語”という言葉をしきりに使っている。
 「愛語というは、衆生をみるに先づ、慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。おおよそ暴悪の言語なきなり・・・」
“愛語”とは、人々に接するとき、まず慈愛心をおこし、相手の身になって考え、慈愛の言葉をかけること。また一切の暴言や悪言をはかないことだ。
 「世俗には安否を問う礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。慈念衆生猶如赤子のおもいをたくわえて言語をするは愛語なり・・・」
 世間のつきあいでは、お元気ですかと言葉をかわすのが礼儀。僧侶の間では「大事な身ですから自重自愛してください」と挨拶するのが当たり前だ。「衆生を見ることなお赤子の如し」という慈悲忍辱の心を抱くことが“愛語”の根本なのである。
 「向(むか)いて愛語を聞くは、面(おもて)をよろこばしめ、心を楽しくす。向わずして愛語を聞くは肝に銘じ、魂に銘ず。知るべし愛語は愛心よりおこる。愛心は慈悲を種子とせり。愛語よく廻天(かいてん)の力あることを学すべきなり」
 「お前はよくやっている。今後もしっかりやってくれ。頼むぞ」と直接いわれたら、どんな人でも心楽しく、喜びが顔に溢(あふ)れるだろう。しかし面と向かってではなく「俺は彼だけは社の宝と思っているんだ。立派に育ってほしいもんだ」と陰で話した言葉が、廻り廻って本人の耳に入ったときは、本当に心魂に響く。
こうなると、当人は、絶対にこの期待に応えようと、心に期する。
 こうした言葉が出るのは、部下を思う心の現われなのであって、手段や術策で出てくるものではない。人を慈しむこの心は、やがて天地に通ずる「廻天の力」(衰えた勢いを盛り返す力)というか、物事をより良い方へ好転させる働きをしてくれると信じるべきである。
 「人の一善を見て百罪を忘れよ」(安岡正篤の言葉)
 できるだけ人の美点長所を見つめていると、これは確かに自分を向上せしめるし、謙虚な心を培う。
 道元禅師が言うように、心に慈悲心を抱いて相手に対すれば、相手も必ず親愛の情をもって応えるものだ。だから「我は民に入り、民は又我に入る」という相互補完の関係にあることをひたすら信じ、己の明徳を明らかにするという修練を積むことが大切である。
 「大人」は天地万物と一体を感じる
 このことを徹底的に思索して、儒学における最高の境地にまで仁を深めたのが、明代の哲人・王陽明であった。彼は晩年に著した大学問に、「大学は何を教えようとしたものか」と設問し、「それは大人になるための学問だ」と言っている。そして「大人とは、天地同根万物一体と観じ得る人」と断言する。
意識的に計算してそうなるのではなく、その仁心が自然に大きく拡がって万物に及ぶからである。そしてだれもが持っている心なのである。
王陽明のいう「万物一体の仁心」というのは、己の父母に孝養をつくす心を基本に、さらに他の父母に及ぼし、そして国家へ忠義をつくすことにまで広げる。
自分の子供を慈(いつく)しむ心を拡大して、己の部下を愛するのである。
また、兄に対する尊敬の心を拡大して、己の上司を敬するのである。
このように、人間の倫理とは、近きより遠くに及ぶ一体観が、基本である。
 理想は五十、六十歳になっても創造にたち向かう人
 朱子は「大学章句」に、この親民を新民と読むべきだと強調した。それは、我々が住む天地宇宙は、日々夜々創造し変化してやまない存在である。この天地と同じように我々もまた、日々新たなる自己革新に勉めなければならぬ。旧套(きゅうとう)を墨守して、進歩と創造を忘れてはならぬ。こうした道念から出たのが朱子が新民と唱(とな)えた意味である。
 伝教大師の開かれた比叡山延暦寺の「山家学生式」に次のように書かれている。
 「国宝とは何物ぞ。国宝とは道心なり。道心ある者を国宝と為す。一隅を照らす者、これ国宝なり」
 大学の言葉でいえば、明徳を明らかにせんと志している人を国宝と考え、そうした人々が、己の周辺を明るくするべく一燈を点ずることが、最高の教化活動だというのである。
 自分自身の道心を磨き上げることが大切
 殷王朝を創始した湯王という人は、毎朝顔を洗う洗面器の底に「苟日新而日新、日日新」と彫りつけ、日新の政治を誓ったということが伝えられている。
 本当に心と心が結ばれて絶対に信頼された関係になっていないと民を新にすることはできないということである。民を徳化し、感化するためには、親しむという徳がなければならず、「親」と「新」とは相矛盾するものではない。
 大学の三綱領の最後に「至善に止まる」という言葉がある。
「人君となりては仁に止まり、人臣となりては敬に止まり、人父になりては慈に止まり、人の子となりては考に止まり、国人と交りては信に止まる」とある。この言葉は孟子の五倫の中から君臣、父子、朋友の三倫を摘出して、国家、社会、家族に対する道徳を代表せしめたものだ。
 至善に止まるの「止まる」とは、掴んで離さぬという意味で、要するに「大学の道」は、自分自身が持つ道心を磨きあげ、これを君父兄弟朋友夫婦の五倫に及ぼし、後悔のない生活を営むにはどうしたらよいかを考察することなのである。

 第四章 八条目

 修養の第一歩は人間道徳の法則をつかむこと
 中江藤樹は近江聖人と仰がれており、一般大衆に尊い心を植えつけた。このような人こそ真実の儒者、本当の教育者である。
 十二歳で真義に気付いた中江藤樹
 中江藤樹は十二歳のとき、「大学」の「天子より以て庶民に至るまで、一(いつ)是(し)に、身を修むるを以て本となす」という一章にふれ、儒学の真義に気付いたという。
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先づ其の国を治む。その国を治めんと欲する者はその家を斉(ととの)う。その家を斉(ととの)えんと欲する者は先づ、其の身を修
む。その身を修めんと欲する者は、先づその心を正しくする。その心を正しくせんと欲する者は、先づその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、先づその知を致す。知を致すは物に格(いた)るにあり・・・
 これが八条目の条項である。
国を治めるということを、現代では会社をよりよく経営することでもおなじである。大臣や総理がまず、その心を正せば自然と天下の人心は正しくなる。
一切の政治は、これを執行する人間の「己を修める」努力があって初めて成り立つ。
 格物致知の解釈違う朱子と陽明
 その修養法というか、学問の仕方を教えたものが、格物致知である。
 朱子は、致知とは己の主観を完全ならしめることであり、格物とは夫々の事物の理を窮(きわ)めることだと理解した。
一方王陽明は、明徳を明らかにするには、己の意志を誠ならしめることにはじまり、大学の格物は、物を格(ただ)すと読むべきと主張した。
 物とは己の意志のことで、格すとは正邪曲直をただすことである。
 直観重視する陽明学
 朱子は己が知に主観と客観の違いがあることを認め、客観的に事物の理法を深く探ることによって、己の主観たる知を完全にし得ると観じ、それを勉強することだと説いた。
 陽明学の方は、宇宙の一切は吾が心の問題であるという把握の仕方をしている。
例えば聖賢の学をま学べば、自らが聖賢たらんとする実践性、行動性を根本に持つべきだと主張する。
王引之によると、「格物」の物とは、「法」のことであるという。
大学の後文に「人君となりては仁に止まり、人臣となりては敬に止まり、人父となりては慈に止まり、人子となりては孝に止まり、国人と交わりては信に止まる」という一章があるが、この仁、敬、慈、孝、信が物の代表である。
 したがって格物とは、「道徳的法則を悟る」と読むべきである。
 良知は道徳律によって磨く
 王引之のいうように修養の第一歩は、人間道徳の法則の把握にある。仁、義、礼、智、信という法則性を把握して、これを陽明のいう良知の基準とする。
 そしてこれらの示すところにしたがって、善を選び、悪を去り、毎日遭遇する事物を正してゆくのである。良知は存在のままに放置して、決してよいわけでなく、これらの道徳律によって磨くのである。


 第五章 受任者

 国家、企業の興亡は無駄を省けるか否かがカギ
 君子は身を修め行を正しくして、時運を待つべき
 「君子の学問は、①通の為に非ず(世間から賞賛されたり、立身出世の為にするのではない)②窮して困(くる)しまず(どんなに窮(きゅう)厄(やく)しても心を失うようなことがない)③憂えて意(こころ)衰(おとろ)えず(憂うべき事態に遭遇しても意気は衰えず)④禍福終始を知って惑わず(人間の禍福は糾(あざな)う縄のように交互に循環してやまないものと把握する)ということでなければならない。
「随(したが)って君子は博(ひろ)く学び深く思索し、身を修め行を正しくして時運の到来を俟(ま)つべきなのである」
 憂患に生き安楽に死す
 一体、人間は物事に失敗して初めて、悔い改めるものであり、心に苦しみ、思案に余って悩み抜いてこそ、はじめて発奮し、立ち上がるものである。その煩悩や苦悩が顔に出すようになってはじめて、心に悟るものがあるのだ。
 上を諌める者なき国や会社は滅びる
 その内部にやかましく君主や経営者を諌める賢者がなく、外からの脅威や外圧を被(こうむ)らないときは、必ず滅亡する。個人にせよ国家にせよ、内憂外患に直面した時、内面に正気をたたえている民族は、必ず溌剌(はつらつ)たる生命にみちるものであり、いつも享楽と安逸を追求して自立精神のない民族は、いつかは堕落し滅亡を免れぬ。これを憂患に生きて安楽に死すという。
 中庸の素行自得の一章
 「君子はその位の素(そ)して行う。その外を願わず、富貴に素しては富貴に行い、貧賎に素しては貧賎に行う。夷狄に素しては夷狄に行い、患難に素しては患難に行う。君子入るとして自得せざることなし」
素してとは、自分の今いる地位に立ち、適合するという意味で、前述の憂えず困(くる)しまざる心を作る原点である。
どんな憂い事や患難に遭遇しても、うろたえることなく本心を見つめて暮らすことで、これを「君子は其の位に素して行う」という。
 地位や境遇は天が与えたものと悟れ
 「禍福(かふく)終始(しゅうし)を知って惑わず」というのは、この天地は、すべて陰陽相対の理に依って成り立っている。人間は男と女という陰陽の存在であり、これが相俟(あいま)ってはじめて、新しい生命が生れる。
政府諸官庁を省という。行政は放っておくと自然に膨張し、繁文辱礼ばかりで、手がつけられなくなる。そこで国民が必要とする最小限の所まで無駄を省け、という意味があるのである。だから政治でも企業でも、常に省いて省けるものは省いてゆくのが真理、哲学、道徳の第一ということである。
 新奇さで人の目を引く人は要注意
 元の大宰相耶律楚材は「一利を興すは一害を除くにしかず」と言った。
新しい事業を起こしてたくさんの税金を使い、役人を使用するよりも、民生のためにならない一つの法令、一つの政策を廃止する方が大切だとさとしたのである。
 植木職人達の剪定作業は、枝葉を無闇に茂らせると日も風も通らず、生長が止まってしまう。そこで枝葉を刈り込むのである。柿でも林檎でも、摘果が最も大切な仕事だ。間引くことを果断、果決といい、省の理法に最も叶う道となる。
 健康な人は自己を反省し、粛正できる
 人間は才能も気力もあるが、同時に常に反省し自己を粛正し、無駄を省ける人が、本当に健康な人ということになる。
 この陰陽相対の理法を確信して、できるだけ陰的原理の重要性を自覚すれば、あやまりなき己の拠(よ)って立つ位置が理解され、歩武堂々と生きてゆけることをいったものが、「禍福(かふく)終始(しゅうし)を知って惑わず」ということである。

 第六章 慎独

 人を見抜く能力は自分を顧みる姿勢から生れる
 孔子は、人間には自分本位で、譲ることを知らない本性があるのではないか。この性には、利を好み、人を妬(ねた)むという一面があるまいかと凝視した。
「論語」の中で、孔子は愛弟子の顔回に、「己に克って礼に復る」ことが仁道であると教えている。
 儒学の幼少教育には、「人生れて八歳小学に入る。その教育は酒掃応対進退(拭き掃除や返事の仕方のこと)の節と礼楽射御書数の六芸を教う」とある。
 ところが、人は十五、六歳になると、霊性に目醒めはじめる。孔子は「吾十有五にして学に志す」と述懐し、大学という書は、この目醒めに応えるところから出発するのである。

 「和」と「仁」の違い
 儒学では「礼は和を以って貴しとする」というが、孔子は仁を強調した。
礼は調和を強調する。仁は親愛を重視する。調和は真心から出たものであっても、打算的に妥協されたものであっても、結果として調和であり得る。親愛には、門の少しの打算もゆるされない。
孔子は人間に大切な二大要素を「知と仁」と考え、知とは善悪是非を判断する直観力、仁とは他人を愛する情の働きである。この知と仁を兼ね備えた人が「徳」のある人という。
 仁道の実現―忠怒と克己復礼
 孔子は仁を実現するには、「忠恕(ちゅうじょ)の道」と「克己復礼」の二つの道を提唱した。
 忠とは良心の命ずるまま、自分の誠をつくすことを言い、恕とは、自分がしたいことを他人に施し、してほしくないことは他人に施さないという心、即ち「無限の思いやり」をいうのである。儒学は精神的には忠恕により、形式的には礼を重視することで仁道を完成すると考えている。
克己復礼は、ともすれば勝手気ままになりがちな自分の心を、人倫の規範に従って、外側から締め上げて逸脱しないようにすることを重視する考え方である。
 内面の「誠」が外面にも現れる
 大学の一節に「小人間居爲不善 無所不至 見君子而后厭然?其不善而著其善
人之視己奴見其肺肝然則何益矣 此謂誠於中形於外 故君子必愼其獨也」
「小人間(しょうじんかん)居(きょ)して不善を為す。至らざる所なし。君子を見て、而る后に厭(えん)然(ぜん)として(慌てふためいて)其の不善を?(おお)いて、其の善を著(あら)わす。人の己を視(み)ること、其の肺肝(はいかん)を見るが如く然(しか)れば、則ち何の益かあらん。此れを中(うち)に誠なれば外(そと)に形(あら)わると謂う。故に君子は必ず其の独を慎むなり。」 
 人間はとかく他人の目ばかりを考えて、自分の内面にしたがうということはできにくい。
 孔子は「大学」で、道に入る工夫の第一に、誠意を説いた。
人は元来悪臭を悪み、好色を好むように、善を好み悪を悪(にく)む性質を持っている。
孟子はこれを「是非のこころ」と言ったが、この心は、自分を顧みて自分を欺くことなく、自分が謙(こころよ)く感ずるように生きることを意味している。
 中国だからこそ生れた人間観察学
 中国の民は永い間、無政府的というべき生活を続けてきた。
「井戸を掘って水を飲み、肘を曲げて枕となす。帝力我において何かあらん」という詩のように、民の自由な生活に、政治が容喙(ようかい)(さしで口)しないこと。即ち「鼓腹撃壌」の姿を、理想としてきた。したがって民衆は己の責任で生きてゆかねばならず、国が自分の生活を保護してくれたり、国家の恩恵が一人ひとりの生活に及ぶなどとは望むべくもなかったからである。
 こうした厳しい環境にこそ、本当に人をみる学問が発達し、人間の観察を誤ると大変なことになることを祖先以来経験しているからである。
「中に誠あれば外に現れる」というように、人間の中身はそのまま人相に出てくるからである。
 慎独は人徳の門であると共に、生涯の蓄えでまければならぬ。常に自分を顧みる姿勢が、自然に相手を見抜く力を養うのである。

 第七章 気質の変化

 感情の制御が身を正しく処すことの前提である。
 経営も政治もこれを執行する人の心の動きによって決せられることが多い。理智は人を動かす力は弱いが、感情は最も大きな働きをする。
「喜怒哀惧(ぐ)愛悪欲」は七情といい、これを正す以外に身を修めるすべなし、と考えた「大学」の作者は、「身を修めんと欲する者は先づその心を正しくするにあり」といったのである。
 「心」が正しければ、「身」は修まる
 心は身の主である。心正しければ身自ら修まる。そして心は性情を総べ霊知霊覚するものであるから、これを天にあって理気といい、人にあっては性情という。性は道心ともいい、仁義礼智信の五常となり、情の霊覚は喜怒哀惧愛悪欲の七つとなる。したがっていかなる聖人といえども、七情はあり、天においても七色の虹となる。
 この七情の動くところ人々はわが身の好悪するところによって動き、好むもの来たれば悦び、去れば憂い、悪むもの来たれば忿(いか)り、欲するもの得がたければ怒るなど、身の欲望に執着して、心の衡平を失うことは誰でも知っていることである。孟子はこれを「放心」といい、「心ここにあらざる姿」という。
これを「大学」では
  「身、忿?(ふんち)する所あれば則ちその正を得ず、恐懼(おそく)する所あれば則ちその正を得ず、好楽(こうごう)する所あれば則ちその正を得ず、憂患(ゆうかん)する所あれば則ちその正を得ず、心焉(ここ)に在ざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食(くら)いてその味を知らず」と警めたのである。
 忿も?もいかりであるが、人は何かに腹を立てると、なかなかおさまりにくい。
「恐懼(おそく)する所あれば則ちその正を得ず」とは、恐ろしい恐ろしいと思っているとおぼろ月夜の野の枯尾花が幽霊に見える。「好楽(こうごう)する所あれば則ちその正を得ず」とは、たとえば、「すきになってはアバタもえくぼ」といわれるように、自分の趣味に合う人には無条件で好きになってしまうことをいう。流行などもそうである。
「憂患(ゆうかん)する所あれば則ちその正を得ず」とは、いわゆる「杞憂(きゆう)」のことである。
 感情を押さえつけず、放置もせず
 このように、感情は心の中正を失わせしめる大きな働きを持つことはわかるのだが、怒るべき時には怒るが、それをいつまでも留めて、怒りのシミをつけ、他に遷(うつ)すような愚かなことだけはすまい、ということである。
この間の消息を「中庸」では次のように教えている。
 「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う。発して皆節に中(あた)る。之を和と謂う。
中は天下の大本なり。和は天下の達道なり。中和を致して天地位し万物育す。」

修行を積み、「和」の域に達する
 喜怒哀楽に愛悪欲を加えたものを七情ということは先に述べた。この情は、性が外物の刺激に応じて起きるものである。
 未発=その情のまだ発(おこ)らないものは性である。性は心の本体であるから一方に
偏(かたよ)らない。故に中という。しかしこの感情というものは一方に偏りがちで、なかなか節にあたることは難しい。
 結局人は、その見ざるところに戒慎し、聞かざるところに恐懼する「未発」の段階での修業が基礎ということになると思われる。

第八章 感情の中世

 虚心に己の内面を見つめ、言動を「礼」に合致させよ
 「其の家を斉(ととの)うるは其の身を修むるに在りとは人其の親愛する所に之きて辟(へき)す。其の賎(せん)悪(お)おする所に之きて辟(へき)す。其の畏敬する所に之きて辟(へき)す。其の哀矜(あいきょう)する所に之きて辟(へき)す。其の敖惰(ごうだ)する所之きて辟(へき)す。故に好みて其の悪を知り、悪みて其の美を知る者は天下に鮮(すくな)し」
 家を斉(ととの)えるというのは家長の一大責務であって、相当な政治力が必要である。こうした首長者が真っ先に考えなければならないのは、「自分の感情の動き如何によって人の取り扱いが如何ようにもなる」ということへの自戒である。

 人間は感情に動かされやすい
 人間の心は知情意の三つから成っているが、そのなかで一番人を動かすものは感情である。「天下の事万変すといえども、吾の之に応ずる所以のものは喜怒哀楽の四者を出ず」(王陽明)というように、知には全人格を動かす力はない。
東洋では、身を修めるには意志が感情を純化すべきであると考え、これを重視した。人を見下す心にこそ己の富貴を誇る卑しい心があるのであって、深く反省すべきである。本当に悪むべきは不義であり、己の利欲を追い求める心根であることを肝に銘ずべきであろう。
上司を敬うが、へつらわず
 「畏敬する所に之きて辟(へき)す」とは、前条とは反対に、自分の頭が上がらない人とか、上司の言葉に理非曲直にかかわらず、ひとえに畏まって正常な判断を失うことをいう。目上の人は固(もと)より畏敬しなければならないが、恐懼(おそく)に過ぎてしまったり、礼を超えたへつらいに陥(おちい)ることのないよう自戒するのである。
 「哀矜する所に之きて辟(へき)す」ということは、本当に矜れむべき境涯に落ちたのを見て同情するのは重要なことだが、他から見て公平に失すると考えられるような同情は慎むべきだというのである。
 「敖惰(ごうだ)する所之きて辟(へき)す」の敖惰(ごうだ)は「おごり、おこたる」ことで、我々が弱者に対して抱きやすい誤った優越感のことである。家族のものとか使用人に対してのおごりたかぶった態度とか、驕慢心を戒めたもので、仏教でも増上慢を最も大きな害毒と考えている。
理性の命ずる所に従って、長幼尊卑それぞれに適合する処理をしているかどうか顧るのである。これを「心を正す」という。


 最難題「悪みてその美を知る」
 「好みて其の悪を知り、悪みて其の美を知る者は天下に鮮(すくな)し」とはどんあことか。普通の人の感情は一方に偏(かたよ)りやすい。特に難しいのは、悪んでも憎みきれないほど仲の悪い相手の長所美点を知り、これを称揚することであるが、これなどは皆無に近い。このように感情の占める場所が大きいために、「中庸」では「喜怒哀楽の未だ発せざるをこれ中といい、発してみな節の中(あた)る。これを和という。中は天下の大本なり和は天下の達道なり」とあって、感情の発動が適中することを「天下の達道」と称しているのである。
さらに「諺に之有り、人其の子の悪を知ること莫(な)く、其の苗の碩(おお)いなるを知ることなし」である。
「其の子の悪を知ること莫(な)く」の一語の意味は極めて重い。
「其の苗の碩(おお)いなるを知ることなし」には、二通りの解釈がある。
一つは、「人は己の欲心から、他人の畠の苗木が大きく見えるものだ」ということである。もう一つの解釈は「苗木や子供の将来の可能性を洞察する人は少ないものだ」と言うことである。
「其の子の碩(おお)いなるものを育てる」と言うこの言葉には大きな人間教育の理法が含まれているのである。
 幼いうちの「しつけ」が大事
 中国では「人八歳にして小学に入り、酒掃(さいそう)、応対、進退の節を教え、礼楽射御
書数の六芸を学ぶ」といわれてきた。「酒掃」とは掃除の仕方のことであり、「応対」とは人にどんな返事をするべきか教えたのであり、「進退の節」とは日常の行儀や祖先の霊を祀るにはどうすべきかーなど、行住坐臥にしつけのことをいうのである。そして六芸として勉強した「礼楽」は、こうしたしつけの基本となる先王の儀則であり、「射」は弓、「御」は馬に乗る方法、「書」は幼少のときから筆を握ること、「数」家政に必要な算数を勉強することを指す。
 いずれにせよ、己れの感情を矯(た)め直す道は、孟子のいう自己の「良知良能」を凝視し、自己の内面の力によって自律していくか、先生の定め置かれた礼に隋い、外側から鍛え直していくしかない。これが人道の着地点なのである。

第九章 観人の法

 優れた人材であるか否かは、行動の一貫性でわかる
 政治指導者や経営者にとって、「人間を観る」ことほど大事なことはない。
宋代の学者である真徳秀の名著「大学衍(こう)義(ぎ)」の中に「聖賢観人の法」という一章がある。「人を知ることは、まことにたやすいことではありません。徳のある人は君子であり、徳なき者を小人といいます。有徳の君子は物事を処するに当たって永続することを貴び、物事を軽々しく変更したりしない。もし、新しいことだけに目移りして、久しく保つ心がけのない人は徳を論ずるに足らぬ人です」
 温顔をたたえる一貫性が古聖王の典型
 「大学」に「穆(ぼく)々たる文王、ああ穆(ぼく)々緝(しゅう)煕(き)にして敬して止まる」とある。
 これは聖人文王を讃えた詩であるが、奥深く、ゆかしい人柄を「穆(ぼく)々」の二字で表している。また「緝」とは蚕の繭からとぎれることなく、むらなくスムーズに糸が紡がれていくことを意味し、「煕」とは春の野に、変わりなく暖かく照り添う日の光を意味することばである。春の日のように和(やわ)らかに暖やかな光を湛え、いつも変わらぬ温顔をたたえる一貫性を、古聖王の典型として賛美したのである。
さらに、この章の末尾に「古の人を論ずる者は必ず有徳を貴ぶ。後世の主、あるいは材能を以て人を取る。而して徳行を稽(かんが)えず。故に才有りて徳なきの小人、自らを售(う)ることを得。その事を敗らざる者ほとんど稀なり。皐陶の言は万世、人を知るの大法なり」と結んでいる。
 李克の人物鑑定法―五つの観点
 周代の末期、魏の文侯が、客臣・李克に宰相採用の問題を尋ねた答えが
 「人はその器量によって人と交わる。善人は善人と結び、悪党は悪党と結び、利害の人は利害によって交わる。平生、いかなる人と交わっているかを第一に視る。二番目は、富貴は人の願うところなので、そこには必ず人が寄り集まり、弁侫狡智もまた寄るところとなる。これをどう捌くかを視る。
三番目は、地位が上がり、役職を持つようになったとき、己の左右に挙用する人間の質を視る。
四番目はとして、「窮達は命なり、貴賎は時なり」ということばがあるように、人はいつも自分の思うようになるものではない。季節に秋冬が巡るように、思わず
蹉跌をきたすこともあらん。かかる窮乏に遭遇して、いかに泰然としていられるかは平素の修養による。これを観察せよ。
五番目は、人間の節操が現れるのは貧窮のときであるから、いかに貧乏しても、ある線を越えてまで卑屈になったり、もの欲しげな態度をとらない、という一魂を抱いているかどうかを視る。
 富貴、栄達、貧窮、患難そして日常の生活の中で、いかなる人と交わり、いかなる身のこなしをするかを見るのが人間観察の極意である。
 人の「師」たるか「臣」たるかを見抜く
 李克が??の質問に「魏成の食禄千鍾(一鍾は米六石四斗)。その九割を他のために使い、我がためには一割しか使っていません。そのおかげでト子夏、田子方、
段千木のごとき天下の士を魏国に招くことができました。この三人は殿が師と仰がれ、日夕、その教えを受けておられます。それに対して、あなたが推薦された人々はこの国ではみな臣下になっているではありませんか。(これら臣下と)魏成が心契を結んでいる人々と同一に比較できるでしょうか」。
 賢者の政治体制、法制は変える必要がない
 「比類なき先帝陛下と名宰相蕭何が天下を定め、国が微動もしていないとき、なんで新しいものをつけ加える必要がありましょう。陛下はどっしり構えていればいいのではありませんか」

第十章 道は近きにあり

人材の育成は「家族への慈愛」を持つことから始まる
 徳川時代から指導者必読の書とされているものに「資治通艦」という厖大な歴史書がある。宋代の司馬光が編集し、時の神宗皇帝に捧呈したものである。
 斉の威王の「宝」は四人の逸材
 威王の答えに「私が宝と考えているのは、四人の家臣こそ、私にとって“千里を照らす宝”というべきものであって、単に戦車十二両を隔てて照らす玉なのではありません」と言い切った。
 国にとって金銀より人材の方が価値がある
 唐の太宗(世界史上にも、その賢明さが詠われる英主)と、その名臣、魏徴との問答を中心に編纂された政治哲学書である「貞観政要」に侍従の万紀が次のように上書した。「宜州と鐃州ではたくさんの銀を産出します。このニ州を陛下の直轄地になされば年々、数百万緡(緡は貨幣を糸でつないだもので千銭を一緡とする)を得るでありましょう」
これに対し太宗は「朕は天子である。手に入らないで困る物は何もない。ただ
嘉言なく、真に民を利する道を得られないことを慎む。数百万緡の銀のごときは、賢才一人を得ることほどの価値もない。汝は賢才の登用や不肖の者を退けることを勧めるのでなく、税銀と利を主張しているだけだ。昔、聖天子の蕘舜は璧を山に捨て、珠を谷に投げて、私腹を肥やすことを避けたと聞く。漢の末期、桓霊は銭を聚め、私蔵したと伝えられているが、汝は朕に桓霊のようにせよと勧めているのか」と語った。
 最澄も「国宝とは道心ある者」と言った
 伝教大師、最澄は「国宝とは何ものぞ、国宝とは道心なり。道心ある者を国宝となす。一隅を照らす、これ国宝なり」と記している。
「大学」にも「その家教うべからずして、能(よ)く人を教える者はこれ無し。故に君子は家を出ずして教えを国に為す。考は君に事(つか)うる所以なり。弟は長に事うる所以なり。慈は家を使う所以なり」
理想社会は自分の周りの人々との生活を通じて実現するものだといっているのである。
 人間の「道」は身近なところにある
 親に抱く恩愛の情は、幼い日から自然に芽生えてくる。この恩愛の情を親だけに止めず、社会の奉仕、君主への報恩など社会化していくことが「忠」なのだ。兄に対して抱く親愛と畏敬の心も生れ落ちるとともに芽生える。そして兄弟の競争を通じて己を鍛え、励まし、社会生活を営むうえでの競争の原点を教えてくれる。兄弟姉妹という横の人間関係がこれによって訓練され、さらに上長、先輩と交わる道の本となるのである。
 人の子の父となり、我が子を撫育する喜び、慈しみのわからない人はいない。この慈愛の心を社会に拡大していけば、社員、あるいは部下に対する道が自然に会得されるだろう。

 第十一章 情意哲学の基本

感情を陶冶し、己を深めることが「修業」の要点
「大学」では「心を正しくするということは感情のゆがみを匡(ただ)すことなのだ」と論じられている。王陽明は「天下の事は万変するけれども、我の之に応ずる所以のものは喜怒哀楽の四つにすぎない。学問の肝心もこれであるし、政治も畢(ひつ)意(い)、これにすぎない」と述べている。
 国民が何を喜び、何に怒り、何を哀しむか、という洞察力を欠いては、政治はその態を失うことになる。
「大学」が教える人間感情五つの欠点
其の家を斉(ととの)うるは其の身を修むるに在りとは人其の親愛する所に之きて辟(へき)す。其の賎(せん)悪(お)おする所に之きて辟(へき)す。其の畏敬する所に之きて辟(へき)す。其の哀矜(あいきょう)する所に之きて辟(へき)す。其の敖惰(ごうだ)する所之きて辟(へき)す。故に好みて其の悪を知り、悪みて其の美を知る者は天下に鮮(すくな)し」を解説しよう。
① 人間が信愛する者としては、父子、夫婦、兄弟に及ぶ者はない。しかし、こ
うした愛におぼれて、気随(きずい)気儘(きまま)に流れていくと、どうにも変辟して家の態をなさなくなる。
② 封建時代のように身分とか階層があった時代では、低い身分の人は人間的
にも低く見られ、人並みの扱いを受けないことが多かった。しかし仕事の種類や身分で他人を蔑視することは、己の富貴(ふうき)に酔った賤(いや)しい心の現われであり「利欲は不義に根ざすもの」との自覚こそが必要なのである。
③ 目上の人はもとより畏敬すべきだが、余りに恐慴(きょうしょう)に過ぎて、こびへつら
うようになってはいけない。上長の不義を諫めることも畏敬の中にあると考えるべきだ。
④ 「哀」も「矜」も、かなしみ、あわれむという意味があって、人は哀憐(あいれん)すべ
き境遇にある人に対して気の毒だと思う心が先に立ち、妄(もう)に私恩を施して姑息に流れやすい。これを戒(いまし)めたことばだ。
 ⑤敖(ごう)は「おごり」であり、惰は「おこたり」である。部下や家族に対しては、とかくこの態度に出やすい。
 人間であるから、好き嫌いがあるのは当然だが、好きな相手にも悪い点があることを醒めた目で見ることが重要だということだ。これはなかなか難しいが、さらに難しいのは、仲が悪く、嫌っている相手でも、その人の良い点を見抜き、称揚する公平無私な心である。
 嫌いな相手の良い点をほめられれば最高
 この「悪みてその美を見る」ことを実践した例が「史記」に載っている。
漢の創始期、高祖を扶(たす)けて漢帝国の樹立に力をつくした功臣が二人いる。蕭何と曹参である。この二人は劉邦がまだ若く、創業多難のときは協力して力を尽くしたが、帝国が成立し、蕭何が宰相、曹参は大尉となって軍を統べる地位についてからは、お互い、口もきかない険悪な関係になった。
高祖が「蕭何の後、国を統治していくには、誰が宰相を引き継ぐべきか」と問うたのに対し、蕭何はためらいもなく「曹参以外にはおりません」と言い切った。
高祖が死去して間もなく、蕭何も世を去ったとき宰相に任ぜられた曹参は政務にほとんど力を入れなかった。それを孝文皇帝からなじられると「漢の法律制度は先帝と蕭何という優れた人が作ったもので、二人の死後も、この制度によって何のゆるぎもありません。今さら何の必要があって新しい制度を作るというのですか。私は現制度を維持、存続させていくために宰相を命じられたのだと確信しているのです」と言い切ったという。
 先入観も誤った判断に導く
 「諺にこれあり、曰く、人その子の悪を知ることなく、其の苗の碩(おお)いなるを知ることなし。これ、その身を修まらずして、以て、その家を斉(ととの)うべからずという」
 感情に支配sれて偏頗(へんぱ)な心を持っているなら、正しい判断はできない、ということを述べてきたわけだが。このことばは。さらに「人間の先入観が誤った判断を導きやすい」ということを指摘している。

 第十二章「重民」の思想

 天命を受けて民を治める者は第一に考えよ
 朱子が礼記の中から「大学」を注出して四書(大学、中庸、論語、孟子)の中に編入したとき、「大学章句序」を書いて、この書の意義の大きさを明らかにした。その中で「天が我々、人間を生んでくれたが、その人間の本性に、仁、義、礼、智という道心を植えつけてくれている。しかし、これを包む肉体や気質は万人が違っており、感情や意志も各人各様である。そうした大勢の人の中から聡明叡智、人間の本然をつくし得る人が出てきたとき、天はこれを億兆(人民)の君師として、人民を統治し、教化する大権を与え、その理想を己(天)に代わって、この地上に実現する役目を与えた。これが天子である」と述べている。
天の命によって、天に従属しながら、天に代わって人民を統治する権威を持つ者であるから、「天子は民をみること子の如くであれ」といわれたのである。

 「康誥」の思想
 「康誥にいわく、赤子を保(やすん)んずるが如く、心誠に之を求むれば中(あた)らずといえども遠からず、子を養うことを学んで、しかる後に嫁する者はいまだ有らざるなり」
民衆を統治するには、親が赤ん坊を育てるようにすべきだ。誠心誠意ことに当たれば、すべてうまくいくとはいえないが、大体、うまくいくものだ。生まれたばかりの赤ん坊は自分の望みを口で伝えることができず、泣くだけだが、母は「この子を何とか育てたい」と思って接するので、子供の望みを正しく理解できる。あるいは、うまく理解できなくても、そんなに外れることはない。子を産み、育てることを学んでから結婚する女性はいないのであって、結婚し、真心から子供を愛育しようと努力することによって子育ての道を体得できるのだ。君主が人民を治める道も、同じことだ、と論じているのである。
 朱子は「天は人間の中から聡明叡智能くその性をつくす者と認められる者に、民に君臨する権限を与える」といっている。すなわち重民の政治哲学である。
 現代中国にも生きる「有徳作王」思想
 中国人の心の底に流れている有徳作王思想、天帝についた人に万人が敬服すべきという思想である。
 政治家のバイブルになった「三事忠告」
 安岡正篤氏が、元の中期名宰相張養浩が為政の要訣をまとめた「牧民忠告、風憲忠告、廟堂忠告」の三事忠告を「為政三部書」として公刊した。
廟堂忠告の第三章に「重民」という章の大要の訳出は、すなわち「人民を最も愛しているのは天である。その天から人民を託された為政者は、人民を決して粗末に扱ってはならない。人民はあまり反抗しないが、天は暴政を見ている。人民を直接、統治する地方官僚を蔑視する向きもあるが、このような本末転倒では、世は治まらない」ということである。
 重民思想は民主政治にも通じる
 この民を重んずる考えは、中国の伝統思想である。孟子も「民を重しとなし、社稷(しゃしょく)これに次ぎ、訓を軽しと為す」といっている。天命を受け、民衆の歓呼の上に王朝を開いたという原点は、時がたつにつれ忘れてしまいがちである。ここに政権の落とし穴がある。「重民」思想抜きの「有徳作王」の限界を心にとめるべきである。

 第十三章 絜矩(けつく)の道

 人の上に立つ者はまず「思いやりの心」を持て
 中国社会の根底に、今も昔も変わらず流れているのは老人尊重の倫理観である。「大学」に次のことばがある。
 「その国を治めんとするの道は、上、老を老として民、孝に興り、上、長を長として民、弟に興り、上、孤を恤(あわれ)みて民、倍(そむ)かず、是を以て君子に絜矩の道あり」
 老人を尊重した周の西伯
 周の国に入ると、耕す者は皆、畔(道)を譲り、民は長に譲る。これを見た虞(ぐ)?(ぜい)の
二人は西伯に会う前に慙(は)じて「吾が争うところは周人の恥ずるところなり何ぞ行くことを為さんや、まこと恥をとらんのみ」と言って、互いに譲り合いながら去った。このように、中国では老を敬うことが政治の根本に触れることになる。
 「孝、弟、慈」が徳の基本
 古来、「天下の三達」とは高位、高徳、年齢の三つといわれる。
「年五十郷に杖つき(杖をついて郷の庁舎に入ることができる)、六十は国に杖つき、七十は朝に杖つき、八十は天子といえども之を召さず、その家に行幸する。老ある家は公役を免れる」という。老を老とする誠を尽くせば、民人その誠に感発して孝心を興すのである。
 また、社会の恤(あわれ)むべきものとして、鰥(かん)寡(か)孤独の四つがあげられる。鰥は老いて妻なき者、寡は老いて夫なき者、独は老いて子なき者、孤は幼くして親を失った者をさす。
 昔から「恒産なき者は恒心なし」といい、「倉稟充ちて栄辱(えいじょく)を知り、衣食足りて礼節を知る」といわれるが、特別な修練を積まない限り、貧苦の境涯に陥れば、己の心を失う人が多い。こうしたことから、人は上の慈愛に触れたり、窮乏の底にあって為政者の慈悲心に触れれば飜然として道心を発し、義理に背かず、明徳の輝きを出す。この孝、弟、慈の三徳こそ「絜矩(大工の墨糸のように踏み行うべき法則)の道」であり、親民の実践的工夫なのである。
 友人同士にも絜矩の道がある
 「大学」ではもう一つの絜矩の道として、「上に悪(にく)むところ、以て下に使うことなかれ。下に悪むところ、以て上に事うることなかれ。前に悪むところ、以て後に先んずることなかれ。後に悪むところ、以て前に従うことなかれ。右に悪むところ、以て左に交わることなかれ。左に悪むところ、以て右に交わることなかれ。此れを之、絜矩の道という」
つまり、上役から「いやだなあ」と思うことをされたら、自分は部下から「いやな上役だな」と思われていないかどうか反省して、そうならぬように努めよ。部下から生意気な、失礼な態度で接せられたときは、自分は上役から見て、今の部下のように我慢ならないような、いやな奴と思われていないかどうか省みよ。先輩にいやな態度をされたとき、先輩にそういう態度でつかえていないか顧みよ。また同列の友人との間でも、右の人からいやなことをされたとき、同じような態度で左の人と交わるな。同じく、左の人からいやな態度をされたら、右の人にそうのような態度をとるなーこのようなことが絜矩の道だというのである。
 「中怒の道」も同じ意味
 絜矩の道は、治国平天下の根本原理とされている。
絜矩の道とは、「己を推して人に及ぼし、人の心をおもいやる」ということだ。

 第十四章 富を安んずる道

 富裕な人々の圧迫は国全体の窮乏、人心荒廃を招く
 人の上に立つ者は、本人が自覚している以上に他人から厳しい目で見られているものである。「大学」も「節たる彼の南山、維(こ)れ石(せき)巌(がん)々たり。赫々(かっかく)たる師尹(しいん)。
民倶(とも)に爾(なんじ)を瞻(み)る」と戒(いまし)めている。
これを訳すと、「截然(せつぜん)と切り立ったように秀で、かの終南山は岩石峨々として関中(陜西省)の南にそそり立っている。この山を天下のすべてが仰ぎ見るのであるが、それと同様、人々は勢威赫々たる太師尹氏を仰ぎ見る。どうか己を謹み、職務に精励してもらいたい。もし、他人をおもいやる道(絜矩の道)を行わず、意のままに偏頗(へんぱ)に流れるようなことをすれば、人心は離れ、叛き、国を亡ぼし、身を殺し、後世の物笑いとなって、大きな辱をうけることになるだろう」ということだ。
 上に立つ者は恕(じょ)の心を持て
 すなわち、人の上に立つ君子は、何か民に要求するなら、まず自分自身、実践せよ。何かやめさせたいなら、自分自身、行わないようにせよ。上に立つ者が「恕の心」を持たず、口先や法令だけで仁とか譲とか唱えたところで、誰もききはしないーというものだ。
「忠」とは吾が衷(うち)なる心、中心主体の心であり、「大学」の明徳をもって己を尽くすこと。「恕」とは、如(ゆ)く心、おもいやりの心、相手の身になって考える心で、「大学」における「親民」、つまり相手と一体となる心のことだ。つまり、恕の徳を持たずして、人を喩(さと)すことなどできるものではないというのだ。

 経営者も守るべき「保息六ヶ条」
 〈民の生を蕃(さかん)にするの法山〉
 「大司徒(周代の文部大臣)は保息六を以て万民を養う。一に曰く幼を慈しむ。二に曰く老を養う。三に曰く窮を賑わす。四に曰く貧を恤(あわれ)む。五に曰く疾(やまい)を寛(ゆる)くす。六に曰く富を安んず」
孔子は、民が富裕になれば、これを教える必要がある。民を「富ましめず、倉稟充たず、衣食足らず」という状態にしておいたのでは、民は聞く耳をもたない。
 弱者救済の行き過ぎを懸念
 強者を抑え、弱者を扶けることに主眼を置いた政治が古聖先賢の道にかなっているのかどうかーこうした考えは、現代の政治においても、重大な問題提起であるといえるのではないだろうか。政治の本旨が弱者救済にあったのだ。
「孟子」には「鰥(かん)寡(か)孤独は天下の窮民なり。これを済(すく)うは政治の要諦なり」という考え方が強調されているが、窮民を救済することと、富者を敵視することとは本来、全く別の話であるはずだ。
「是の故に君子はまず徳を慎む。徳有れば此れに人有り。人有れば此に土有り。土有れば此に財有り。財有れば此に用有り。財は未なり。本を外して末を内にすれば、民を争わせしめて奪うことを施す」
 「財」の根本は上に立つ者の徳
 経営者や為政者が立派な人であれば、必ず良い人材が集まってくる。よい人材が集まってくれば、工場、店舗などの設備も充実する(人有れば土有り)。土、すなわち生産手段の充実、活用によって、おのずから生産力は高まり、財を増やす(土有れば此に財有り)。また「財有れば此に用有り」の「用」という字は、「作用」という熟語があるように、「働き」という意味もあり。「財が生ずると、これをいろいろな働きに用いることができる」という意味なのである。
 この「財」を生むものは、究極的には経営者や為政者の徳であるということができる。この根本を考えずに、ただ財だけを追えば、最後は争剋と人心の荒廃しか残らないというべきである。

 第十五章 「幾」のとらえ方

 自己の見直しが組織を動かす第一歩である
 太平洋戦争終結時の御前会議で、阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部長など戦争継続派と鈴木首相、米内海相、東郷外相などポツダム宣言受諾派との対立がとけず、満場一致による降伏の可決ができなかった。
 そこで首相は「二度にわたる会議で合意が得られないわけですから、陛下のご決断を仰ぎたいと思います」と宣言して、天皇陛下の前に進み、「最高戦争指導会議員の意見は賛否それぞれ半数となり、合意が得られません。この上は陛下の御聖断を仰ぐほかにはありません」と言上した。
これを受けて天皇陛下は「私は連合国の回答を受け入れることに反対する者の意見を注意深く聞いた。しかし私の意見は前と全く変わっていない。私は日本国内の状況および諸外国の状況を検討した結果、戦争の続行は破壊の継続以外の何物でもないと確信する。私は連合国の回答を検討した結果、我々の立場をほぼ完全に認めたものとの結論に到達した。私はこの回答を受諾できるものと考える」と言われたのである。
さすが平素、老子を愛読していたという鈴木首相である。「幾」というものを的確にとらえた見事な采配であった。
 禅家の公案に「?啄(さいたく)同機」というのがある。親鶏が卵を抱いて二十一日たつと、孵化の機がやってくる。雛が卵の中からコツコツとつつき始める。これが「?」である。すると母鶏が間髪を入れずに外側から殻をつつき、雛を出す。これが「啄」である。?啄(さいたく)同機によって孵化が行われることから、学問上における造花の妙機として非常に重要視するのである。
 「幾」には二つの意味がある
 「幾」には「瞬間」という意味ばかりでなく「きざし」とも読み、創造の初めを意味することもある。
 「中庸」に
 「隠れたるより見(あらわ)るるはなく、微(かすか)なるより顕(あきらか)なるはなし。故に君子は其の独りを慎む」とある。
 朱子がこれを解釈して、「幽暗の中とか、細微なことはなかなか人の目につきにくい。しかし、いまだ形にならないとき、幾は動いているのだ。他人は窺(うかが)い知る
ことはできなくても、自分の心の動きは自分が一番よくわかっている。この誰にも知られぬ陰微のところを戒慎せよ。事実に己の欲望を矯制して道義の境涯を願うならば、心の萌芽を見つめる以外にない」と教えている。
 邪心のきざしに注意せよ
 司馬光も、幾は重要だが、万事の微なるところを戒慎するところから始まるとして、次のように言っている。
 「水の流れの微なるときは簡単に塞ぐことができる。その盛んなるに及べば木石を漂わし、丘陵を没せしむに至る。火の微なるときは勺(しゃく)水(すい)で消すことができるが、大きくなると都邑(みやこむら)を焼き邑、山林を燔(や)き尽くすに至る。だから物事は微なるときに治むれば力を用いること少なく、功多し。これを盛んならしめて防がんとすれば、力を用いること多く、しかも功少なからん。古昔の聖帝、明王は患(わざわい)を未だ萌さざるところに鎖(とざ)し、禍を未だ形(あらわ)やまれざるにしむ。天下はその徳を被りながら、その所以をしらざるなり」
 つまり、人の上に立つ者は、自分に邪心のきざしがないか、部下や周囲の人々に自分に対するおもねりや、へつらいのきざしがないか顧みよ。さもないと大きな災いを招くというのである。
 このように、幾とは、萌するところを予見するという意味と、?啄(さいたく)同機に示されるようにチャンスを予見するという意味がある。

 真の人材とは何か
 「大学」で論じられている興味深い問題に、「何を国宝とするか」ということがある。
 「楚国は以て宝と為すなし。ただ善のみを宝と為す。舅犯(しゅうはん)に曰く、亡人は宝と為すものなし。親に仁するを以て宝と為す」という文章である。
 国は財宝を集めるのが目的ではない。善人が国宝となるべきだ。舅犯が言ったように、父が死んだ喪中にある子には、ただ父を思う心以外はないのであって、父子一体の理を失わんことこそ真実の道だというのである。
 伝教大師、最澄が比叡山にこもり、根本中堂を開いて日本仏教の大本を樹立して以来、全国から学徒が集まって学問修業の根本道場の観を呈するに至った。こうした学僧たちのための学則というべきものを「山家学生式」というが、これには「国宝」の定義が述べられている。
 「国宝とは何物ぞ。国宝とは道心なり。道心ある者を国宝となす。一隅を照らす者、これ国宝なり」という宣言である。
 為政者はまず、民の生活を豊かにするよう力を注がねばならない。経済。治安、防衛、教育、など国内的充実を図ることはいうまでもない。しかし、経済力や軍事力という威力に頼って外国を圧迫したり、ものをいうことを覇道政治という。
儒学の理想とするところは、個人の道徳論について、功利主義を排して、我々が天から与えられている内面の良心、道心によって人世を立てるよう求めているのと同様、王道政治の実現を究極の目的にしているのである。
 王道政治とは、人民の物質生活を重んじることはもちろん、人間の道徳的教化を重視し、孝悌忠信の道を行って、天下みな善人となることを理想としている。
この王道の実現のためには人間教育、人間学の強化が必須の条件となる。伝教大師の「道心こそ国宝」という言葉には、鎮護国家の大きな理想が込められているのである。


 まず自分自身の足元を見直せ
 安岡正篤先生が生前、全国師友会に拠り、全国に呼びかけた言葉に「一燈照隅」というのがある。この国をより良い国家とするためには一人ひとりが己の一燈を灯して、己の一隅を照らそうではないか。広く天下を糾合し、一大教化の大号令を下すのは、その位置にある人でなければならない。「匹夫責在り」というように、我々一人ひとりに国をより良くする責任があるとすれば、まず自分自身や自分の周りから良くしていく以外にないのである。
 そうした人が千人集まれば千燈となり、一万人集まれば万燈となる。一燈照隅、
万燈照国である。日本を一歩でも理想社会に近づけようと願うなら、それを他者に求める前に、己自身が一燈を点ずるよう努力すべきだ、ということだ。


 第十六章 義と利

 「人間の道」を基礎にして経済は磐石になる
 我々がこうした学問をするのは、その目的は人間の本質を知り、人間の生きる目的を知り、その目的に沿って生きるためにはどう行動したらよいかを知るためである。
 欲望は制御が必要
 欲望は人間を行動せしめる起動力、原動力ではあるが、欲望のままに生きていれば、いつかは必ず心身に違和をきたし、破滅の淵に至ることが多い。そこで、欲望を制御することが必要になってくるが、通常、「反省する」とか「良心が働く」
など制御装置の働きで、人間を破滅から救っている。
 経済偏重は国を傾ける
 「大学」の最終章に
 「国家に長として財用に務むるものは必ず小人よりす。小人をして国家を治
めしむれば、災害竝(なら)び至る。善者有りといえども、これを如何(いかん)ともすることなし。
此を国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すというなり」
 およそ国家に君臨するに、自分の懐具合だけに思いを致し、租税の取り立てだけに夢中になっていると小人が必ずこれに取り入り、国の大本たる人民を愛撫して民心を安定することを忘れ、その膏血(こうけつ)(あぶらと汗)を絞るようになる。
 君主がもし聚斂(しゅうけん)の害を察せず、かかる小人を任用して治国の任に当たらしむれば、民窮して財尽き、上は天の怒りにふれ、下は民の心を失い、災害竝び起こるであろう。たとえ善人君子が出て来て、これを挽回せんと努むるも、時勢既に去って如何ともすべからず。これ、国家経略の大本にして、君主の自利をはかるは、真実の利にあらず。義を尽くすことこそ利なりと観ぜよ。というのである。
 倫理を重視した山田方谷の「理財学」
 窮乏のどん底にあった藩財政を立て直した備中松山藩の山田方谷は、
 「今日ほど至れり尽くせりに経済の営まれている時代はないが、また今日ほど窮している時代もない。とれる限りの利をとり、出費は減らせるだけ減らすという具合に万事、経済主義を実行しながら、蔵は空っぽで、負債は山のようだ。それはまだ知恵が足りないからか、方法がまずいのか、どこかにぬかりがあるのか・・・実は、そうではない。何事によらず、よく世の中の問題を処理する者は常に事件の外に立ち、事件の中に捉えられないことだ。今の経済家はみな財の中に屈し、利の中に屈してしまっている。要するに経済問題だけを心配し、他のことに気付いていない。人心の邪悪、風俗の軽薄、官吏の腐敗、思想教育の堕落などに対処する必要があることに気付いていないのだ・・・これに気付いた者が、良い対策案を持ってきても、決まって『予算がない』と逃げてしまう。しかし、これこそが政治の大原則であり、これを閑却して枝葉末節を玩んだところでなんになるものでもない。この理を悟り、利益とか経済などというものの外に卓立して、人心、風俗、官紀、教育、治安、生産などの大本を振興することに心を致せば経済は自ずから通づるものだ。しかし、これはよほどの人傑でないと実行できないだろう」「急迫の場合ほど、何が正しい道か、それが私欲からきているか否かを考えることが大切だ。正しい政治を行って窮するかどうかは運命にまかせよう。正しい道のために窮するなら、それに甘んじようではないか」「ただ、私は信じる。『利は義の和なり』というではないか。正しくすることが結局は利になるのである。その証拠に、正しい政治を行うことで窮乏から救われたという例が多いではないか。これを非現実的といい、他の経済の道があるというなら、今の窮迫はどういうことなのか・・・」
 これは論語の「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る」という孔子の悟りの実践である。「大学」は、この信念の下に人間の理想を追求した書で、経済の基礎に人間の道があってこそ磐石である、との思いが貫かれているのである。

 「道義の学」の復興を
 現代人は信念、情操、識見、気節、風格、言行というような人物の要素に重きを置かず、経済問題、法令制度、組織機構などを重視し、人間をこれらに従属せしめ、さながら社会という一大工場にうごめく大衆、労働者としてしか評価しようとしない。人間の価値は出身校、法定資格、社会的経歴などという皮相な面からだけでなされ、人物の真骨頂に触れようとしないのである。
 一芸一能ある器としての人間は作られたが、一世を指導するに足る国家有用の人材はついに現れないという、人間疎外の世になっているのである。
 我が師、安岡正篤先生はこれを憂え、昭和初期から儒学を通ずる人間学の復興を図り、終生、教えて倦まぬ生活を続けられた。その門に連なる私も、その麒尾に付して、己が一隅を照らさんことを念願して拙い努力を続けているわけである。
                            著者 柳橋由雄


 補論 王道と覇道

 政治家こそ「恥」を知り、「王道」を求めよ
 本当に時代を創る先駆者、精神的な豪傑というものは、むしろ自分で発奮して行動し、新しい時代を創造する人である。今我々が求めているのは、まさにそういう人傑であり、日本に必要なのもこれである。
 「教」と「養」が政治の基本
 人間生活の基礎として生存のためにの物質の確保と精神生活の向上を確保するにはどうすればいいかという問題が出てくる。精神生活の世話をすることを「教」といい、物質生活の世話をすることを「養」という。この教と養を政治の場から眺めてみると、まず養があって次に教がある。しかしその価値観からいえば、教が第一で、養はその次に位置付けられる。
 毎日、毎朝、衣食の資を得るためにあくせくしている者に対して高尚な精神論を説いても、容易に彼らの耳に入るものではない。そこで政治の第一要諦として、人民に豊かな生活を与えようとするのである。
 「覇道」でなく、「王道」を歩め
 斉の国の宰相に管仲という人の政治学は「管子」という書に集約されている。この管子の冒頭に「倉廩(そうりん)充つれば則ち礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」という有名な言葉がある。すなわち、民衆というものは日常、物質的に充足するようになって、はじめて人間の礼節とか栄辱を考えるようになるものである。
貧窮のどん底にある人に人間の誇りを持てといってみても、また礼儀とか節義を求めても不可能だと。
 ただ儒学では、この経済の充足を最大究極のものとは考えない。個人道徳で功利主義をとらず、我々が本来持っている道義心の実現(明徳を明らかにすること)を目的とするように、物質的な繁栄だけで理想政治が実現したとは思わないのである。
 経済で世界を制覇するとか、軍事力で威圧することを「覇者の政治」「覇道政治」と呼ぶ一方、真の「王者の政治」「王道政治」というのは民に教えを施す、すなわち政治家の偉大な人徳によって民衆を教化し、文王のように万邦が協和する政治の実現を理想とする。
 人間固有の道義心を引き出し、天下の民がことごとく善人になるような政治を目指すことを、王道政治というのである。


 「徳治主義」が政治の理想
 為政者の道徳性によって政治を運営することを徳治主義という。「政は正なり」といわれ、「正す」ということばには社会正義を実現するという意味が含まれている。法律や軍事力は、いわば政治に力が必要なことを示すための手段であり、それ自体が政治の本質ではない。「礼楽刑政」は徳治政治の遂行を支援するものなのだ。
 「法治」万能が腐敗を招く
 「大学」で「子曰く、訴えを聴くことは吾猶ほ人の如し、必ずや訴えなからしめん云々」という一節である。つまり、裁判になり、判決を下す立場になれば自分は他人と大きな差のある判断はしないだろうが、自分は人と人とが争い、何事も裁判に訴え、我意を通そうとする気風だけは作らないようにするーという意味だ。
 孔子は、これを別な角度からとらえて
 「之を道(みちび)くに政を以てし、之を斉しくするに刑を以てすれば、民免れて恥なし。之を道くに徳を以てし、之を斉しくするに礼を以てすれば、恥有り且つ格(いた)る」
 「政」は法のことで。法律を中心にして人を導き、人間の動機にかかわらず「結果が悪ければすべて悪い」と刑法だけで律すると、人民は法を恐れ、刑を畏れて、逆にそれさえ触れなければいいという風潮を招く。「民免れて恥なし」とは、まさに昨今の世情そのものではないか。
 これとは逆に、孔子は「徳を以って導く」ような政治を行い、人間の規範を「礼」にかなうか否かに求める“積極的道徳政治”を進めていくことを重んじる。
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